せきをしてもゆとり

せきをしてひとりでも、だいじょうぶ。ほんの少しのゆとりがあれば、ね。

積み木

最近知能検査というものを受けた時、積み木を使った検査をやった。紅白2色でできた立方体は、とあるパターンで塗り分けられていた。眼の前にはそんな立方体が9つ。組み合わせて、事前に示されていた見本と同じ模様を立方体で作る、そんなテストだった。(これ以上の詳細は、同じ検査を受ける予定かつ勘が良く、事前に検査内容を知ってしまうことで本当のことが分らず終いになって損した気分になるどこかの誰かさんのために控えます)

Photo of cubed houses by Stas Knop from Pexels

Photo by Stas Knop from Pexels

見本の模様を横目に、手を動かして模様を作る時間はとても楽しい。お手本があるって素晴らしい。こういう風に、見本を提示されているのであれば、どんな模様だって出来る気がする。そんな謎の万能感に包まれる。それぞれの立方体のパターンは限られたものだったから、それを使ってできる模様なんて限られているのに。分かっているのに。

こんな思考回路に陥ってしまうのは、ある種のコンプレックス故な気がしている。私自身とその周りがそういう立方体ではない気がするという、コンプレックス。見本は世界に溢れていた。憧れのコミュニティ、素晴らしい共同体、素敵なコミューン。あれでもこれは、世間様で言う「普通の」お手本というやつとは違うみたいだ。そう気づいたのは高校生の頃で、そこで一旦荒れて、収まって、迷っては歩くのを繰り返しながら、そう。今がある。

見本なんて求めても仕方がないのに、そんなことは分かっているのに。お手本への憧れが、未だに私の何かに巣食っている。巣食ってしまっているのだ。

きれいな立方体じゃない自分も、周りも、受け入れられるにはいつになるのか。だいぶそれぞれの立方体でガタが来ているというのに……